「横雲」のやまとうた


by asitanokumo
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

001:初(横雲)

 鶯の初音聴かむと手をとりて通ふ山路に春の色濃し
[PR]
# by asitanokumo | 2011-02-18 07:27 | 題詠blog2011
先日「うたのわ」に加入いたしました。そこからこちらを知りました。
初参加になります。
文語体で詠むつもりでいますが、お題にカタカナや口語があるようで詠むことが出来るものか不安でもありますが、楽しみたいと思います。
どうぞ宜しくお願いいたします。
[PR]
# by asitanokumo | 2011-02-18 07:17 | 題詠blog2011
「朝(あした)の雲」について

このブログは、「題詠blog2011」に参加するために作りました。
その後、和歌(短歌)の発表の場として、季節の歌を詠む場として使っています。

さて、「朝雲暮雨」という熟語があります。
楚の懐王(かいおう)が夢の中で女神と契り、女神が別れ際に「朝は雲に、夕暮れには雨になって、朝な夕なにお目にかかります」と言ったという故事から生まれました。これは「巫山の夢」・「巫山の雲雨」という成語にもなっています。
「朝の雲夕べの雨(あしたのくもゆうべのあめ)」は男女の交わりをいい、また、儚く消える恋のことを指す場合もあります。

典拠。
・文選卷十九 高唐賦(序)
昔者楚襄王、與宋玉遊於雲夢之臺、望高唐之觀、其上獨有雲氣、崪兮直上、忽兮改容、須臾之閒、變化無窮。王問玉曰、此何氣也、玉對曰、所謂朝雲者也。王曰、何謂朝雲、玉曰、昔者先王嘗遊高唐、怠而晝寢、夢見一婦人、曰、妾巫山之女也、爲高唐之客、聞君遊高唐、願薦枕席、王因幸之、去而辭曰、妾在巫山之陽高丘之阻、旦爲朝雲、暮爲行雨、朝朝暮暮、陽臺之下、旦朝視之如言、故爲立廟、號曰朝雲。

・高唐の賦 序
昔者(むかし)楚の襄王(じやうわう)、宋玉(そうぎよく)と雲夢(うんぼう)の台(うてな)に遊ぶ。高唐(かうたう)の観(くわん)を望むに、其の上に独り雲気(うんき)有り。崪(しゆつ)として直ちに上(のぼ)り、忽(こつ)として容(かたち)を改む。須臾(しゆゆ)の間(かん)に変化窮(きは)まり無し。王、玉(ぎよく)に問ひて曰(のたまは)く、「此れ何の気ぞ」と。玉対(こた)へて曰(まうさ)く、「所謂(いはゆる)朝雲(てううん)なる者なり」と。王曰(のたまは)く、「何を朝雲と謂(い)ふ」と。玉曰(まうさ)く、「昔者(むかし)先王(せんわう)嘗(かつ)て高唐に遊び、怠(おこた)りて昼寝し、夢に一婦人を見るに、曰(まうさ)く、『妾(せふ)は巫山(ふざん)の女(ぢよ)なり。高唐の客(かく)為(た)り。君の高唐に遊ぶを聞き、願はくは枕席(ちんせき)を薦(すす)めんと』。王因りて之(これ)を幸(かう)す。去りて辞して曰(まうさ)く、『妾(せふ)は巫山の陽(やう)、高丘(かうきう)の阻(そ)に在り。旦(あした)には朝雲(てううん)と為(な)り、暮(ゆふべ)には行雨(かうう)と為(な)りて、朝朝(てうてう)暮暮(ぼぼ)、陽台(やうだい)の下(もと)にあり』と。旦朝(たんてう)之(これ)を視(み)るに言(げん)の如し。故(ゆゑ)に為に廟(べう)を立て、号して朝雲(てううん)と曰(い)ふ」と。

・昔、楚の襄王が宋玉と共に雲夢沢の楼台に遊んだことがありました。巫山の頂に建てられていた楼観を望みますと、その上にだけ雲が湧いています。高々とまっすぐに立ちのぼるかと思うと、突然形を変えます。短い時間のうちに極まりなく変化するのです。襄王が宋玉に「これは何の気か」と問いますと、宋玉は「朝雲と呼ばれます」と答えます。また宋玉が「何を朝雲と言うか」と聞きますと、宋玉はこう答えました。「昔、先王が高唐に遊ばれました時、一休みされて昼寝をなさり、夢に一人の婦人を御覧になりました。その婦人が申すことには、『私は巫山の女でございます。いま高唐に滞在しております。王様が高唐に遊ばれると伺い、寝所に侍りたいと存じます』。そこで王はこの女を寵愛されました。辞去する時に女が申しますことには、『私は巫山の南、高い丘陵の険阻な地におります。夜が明ければ朝雲となり、日が沈めば通り雨となって、毎朝毎夕、あなた様の楼台のもとに参りましょう』と。翌朝、巫山の方を御覧になると、言葉通り雲が湧いておりました。そこでこの神女を祭る廟を建てられ、朝雲と名付けられたのです」。

この「旦爲朝雲、暮爲行雨」を拠り所とした和歌が中世以後しばしば見られます。特に「寄雲恋」の題などでこの句を踏まえることが好まれたようです。

旅の空しらぬ仮寝にたちわかれ朝(あした)の雲の形見だになし(藤原定家『拾遺愚草』)
雲となり雨となるてふ中空の夢にも見えよ夜半ならずとも(藤原有家『新勅撰集』)
雲となり雨となりても身にそはばむなしき空を形見とや見む(小侍従『新勅撰集』)
ぬれぬれも花橘のにほふかな昔の人や雨となりけん(よみ人しらず『雲葉集』)
はかなしや夢の面影きえはつるあしたの雲は形見なれども(後嵯峨院『続後拾遺集』)
ふりまさる音につけても恋しきは昔の人や雨となりけむ(長慶天皇『長慶天皇千首』)
いかにせん夢の契りもなき中におくる朝の雲と消えなば(薬師寺公義『公義集』)
今朝も見よ夕べの雨とならぬまの雲とたなびく山の形見を(正徹『草根集』)
今朝の雲夕べは雨となる山もおなじ形見の撫子の露(正徹『草根集』)
面影を忘れんとすれば古へのあしたの雲ぞ峰にかかれる(正広『松下集』)
忘ればや契らぬ夢のゆくへだにあしたの雲の夕暮の雨(藤原惺窩『惺窩集』)
いかにせんあしたの雲の跡もなし見し世は夢の契りなれども(松永貞徳『逍遥集』)
見も果てぬ夢に別れて起き出づる朝の雲よ形見ともなれ(武者小路実陰『芳雲集』)

この故事を踏まえた白居易の詞があります。
 「花非花」 白居易
花非花、霧非霧。
夜半來、天明去。
來如春夢幾多時?
去似朝雲無覓處。

花にして花に非ず、
霧にして霧に非ず。
夜半に来たりて、天明に去る。
来たること春夢の如く幾多の時ぞ?
去るは朝雲に似にて覓(もと)むる処無し。

《訳》
 あなたは、花のようであって、花ではない。
 あなたは、また霧のようであって、霧ではない。
 夜半にやって来て、夜明けと共に去っていきました。
 あなたが来たときは春の夢のようで、どれほどの歓びの時間があったでしょう(儚く、瞬く間に過ぎていきました)。
 そして去るときは朝雲のようで、つかのまの歓びののちは跡形もなく消え去って、なす術も無く、もとめようもないのでした。

また、魚玄機にもこの故事を踏まえた七言絶句があります。
  送別 (魚玄機)
秦樓幾夜愜心期、 (愜=適)
不料仙郎有別離。
睡覺莫言雲去處、
殘燈一醆野蛾飛。 (醆=盞)

 秦楼 幾夜か心期に愜(かな)ひしに、
 料(はか)らざりき 仙郎と別離有るを。
 睡り覚めて言ふ莫かれ 雲去りし処を、
 残灯 一醆(いっさん) 野蛾の飛ぶ。

・秦樓:婦人の居住する建物。春秋時代の秦の穆公(ぼくこう)の公女弄玉(ろうぎょく)が住んだ鳳凰臺。簫をよくする簫史と、夫に簫を習い、やがて鳳凰の鳴き声が吹けるようになった弄玉とは、ついには鳳凰を呼び寄せ、それに乗って飛び去ったという故事を踏まえている。
・愜:満足に思う、意にかなう。
・心期:互いに引かれ慕い合うこと。深交。
・料:予測する、推定する。・不料:あらかじめ予測することがなかった。
・仙郎:美男子。
・雲:「巫山の雲雨」の雲。
・醆:盞。灯火・電灯を数える数助詞。

《訳詞》 「別れ行く人を送りて」
幾夜思ひを重ねしに
別るる時のはかりえず
行方の問へぬ目覚めかな
灯(ひ)に迷ひ蛾の身を焦がす


これらを踏まえて「朝の雲」のタイトルとしました。
なお、号の「横雲」は藤原定家の歌によっています。
「春の夜の夢の浮き橋とだえして峰に別るる横雲の空」  
 「浮き橋」は、舟を並べ、その上に板を渡して作る仮の橋であり、夢の儚さをたとえ、「夢浮橋」は、『源氏物語』の最後の巻名で、尼となってしまった浮舟を想う薫大将の悲恋が描かれていました。さらに、「横雲の空」は、「巫山の雲」の故事を連想させます。この想起される二つ物語をベースにした儚い「春の夜の夢」、それが更に頼りない「浮き橋」にたとえられ、「浮き」には「憂き」 の意もかけて、しかも、それは「とだえ」ます。途絶え、別れ、散り、消えゆくはかない情趣が形象された歌といえましょう。 
[PR]
# by asitanokumo | 2011-02-18 00:36 | 「朝(あした)の雲」について